昔話 広告屋の周辺の仕事

私のフリーランスとしてのスタートは水道橋からだ。間借りした雑居ビルに机と電話回線を引いて、フリーランス事務所のいっちょ上がり。

1989年だったと思う。もう昔のことなので覚えていないが。

周辺は出版社、印刷会社、そして写植屋が多かった。

私は東デ出身なのでこの辺りはよく知っていた。その頃は今と違って昔と変わらない感じだった。写植、軽印刷もあったがカラーコピーはまだ無かったと思う。フツーのコピー機が使われていた時代だ。

近所にあの辺りにはよくある紙焼き屋さん(わかるかなぁ〜?)があった。爺さんが経営していて、若い兄ちゃんも使っていた。つまり、あの当時にしてもそこそこ金になっていたに違いない。気のいい爺いさんで、私は好きだった。トレスコを使った紙焼きをその場で渡してくれる。あとコピーと何をやっていたんだろうか?写植や経印刷の受付もしていたかもしれない。いつも結構混んでいた。聞くところによると、昔業界にいた人で、引退後この商売を始めたらしい。

一枚数百円の紙焼きを夕方までやってる商売を、あの頃の私はなんとも思わなかったものだ。私使う人、あなた焼く人みたいな感じだった。しかし、今になってみると、その商売の堅実性がわかるのだ。夜までやる必要はないのである。客が来ないから。小さな店だったけどいいのである。あの周りは、あのお店を必要としてる客ばかりだったから。黙ってても客が来る。

今は、どの業界も客が来ない、物が売れないと言っている。ネット上では集客集客と集客教が幅を利かせてる。そして今フッと思うのだ、あの爺さんのことを。結構計算していたんじゃないか。狸め!でも、覚えていてよかったよ、爺さん。

 

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